宮阪真司の一周忌ー1年前を偲ぶ

5月28日(木) 宮阪真司の一周忌の日

「2019年5月28日(火)はてなブログ」で、真司を偲ぶことにした

当日のことが、走馬灯のように思い出される

宮阪真司、一生懸命生き、天に召された

いつまでも私たちを見守ってほしい

はてなブログ

2019年5月28日  ヘルパーさん、訪問看護師が臨戦態勢で、いろいろ対応したが

 状況は改善されず、真司の様態が悪化し、神経内科のドクターから、

 真司が延命処置をすることをかたくなに拒否していると知らされる

 午前中、久恵のところ、私の携帯電話に、「真司を説得されますか」と問い合わせが

 あった 午前中は、真司の意識がはっきりしていて、自分の意志を明確に主張した

 我々両親も、かねてから、万一の時の事を何度も話し合っていたので、ドクターには

 真司の意志を尊重してくださいと返答した

 神経内科の指示で、睡眠薬と緩和薬をお尻から挿入した、真司は呼吸のみの

 状態を続けていた

 3時過ぎに、CIL理事長の福山さんらが来られ、真司に病院入院も含めて

 延命処置をするよう説得するつもりだったが、声をかけても返事がなく

 呼吸のみの状態で、最後はあきらめられた

 その際、これからは両親が真司の状況を見守ってほしいと申し入れがあり、

 我々両親も24時間態勢に入った

 夜勤は、ベテランの熊代さんで、我々も待機していた。

 夜は私が真司を見守ることにして、久恵には津雲台に帰ってもらった

 真司は小康状態だったので、私は昔の私の部屋で休養を取っていた

 CILのヘルパーさんがたくさん交互に来て、真司に話しかけているのが

 聞こえた

 11時前、熊代さんが真司の呼吸状態がおかしい気づき、私を呼びに来て

 首の呼吸音を聴こうとしたが、聞こえないのがわかった 私は、久恵を電話で来るよ

 う指示、熊代さんは手順に従い、訪問看護師に来るよう指示した

 砲門看護師が来て、亡くなっていると全員で確認、神経内科のドクターに

 最後の診断を依頼した

 11時23分 ドクターは、真司が亡くなっていると診断、その場で、死亡診断書を

 書かれた

 私は、Kアートさん(松井稔、豊子の葬儀を依頼した会社)に連絡し、死後処理の

 スタートを依頼した

 それから、真司の葬儀の準備が始まった

 葬儀は北千里教会、司式は宮岡真紀子牧師を決め、親しい親類友人(安井清子、

 近藤紘子さんら)に連絡

(写真)

 ・2019年5月26日(日) 最後の外出の日 真司、生き生きしていた

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