6月1日(土) はたなブログの継続について
私たちは千里に住む「森のくまさん一家」として、お互いの情報交換ツールとして
ホームページ、はてなブログ、ラインを駆使していた
真司は寝たきりで情報不足にならないように、こまめに情報交換していた
真司からは、毎日いろいろとラインでチャットし、久恵とはこまめにしていた
当初、この情報交換は真司が亡くなったら、止めるつもりだった
現実に、真司が亡くなり、久恵も私も落ち込んでいてはいけない、真司に叱られる
と気が付き、6月1日から再スタートすることにした
内容も、「天にいる真司への手紙」にして続けるつもりだ
今日は、特集として、真司の最後について記録的に書きます
・5月26日 真司の夢の外出 サザンオールスターのコンサートの日
午後2時半過ぎ、久恵と私は「バルサン消毒」もあるので、真司を訪問
真司は、出掛ける準備をすでにしていて、松浦コーディネーター、一番
仲良しの市村ヘルパーさんと出掛けて行った
久恵は、楽しんできてねと声をかけた
午後9時半過ぎ、真司がコンサート終え、家に帰ってきたと連絡があった
真司からもラインで「帰ったよ」
久恵は真司が疲れているので、声掛けはせず、後日聴くことにした
午前三時過ぎから、真司は呼吸が苦しいと訴え、ヘルパーさんと
訪問看護師さんが必死にアンビュ―で呼吸を助け、苦しみを凌いでいた。
その間、神経内科の藤田先生も数回、真司を診断、眠れるように、お尻から睡眠薬
鎮痛剤を挿入し、何とか眠ることができた。(次の日、ヘルパーさんから聞いた話)
・5月28日 真司は深夜、天に召される
ヘルパーさん、訪問看護師が臨戦態勢で、いろいろ対応したが
状況は改善されず、真司の様態が悪化し、神経内科のドクターから、
真司が延命処置をすることをかたくなに拒否していると知らされる
午前中、久恵、私の携帯電話に、「真司を説得されますか」と問い合わせが
あった 午前中は、真司の意識がはっきりしていて、自分の意志を明確に主張した
我々両親も、かねてから、万一の時の事を何度も話し合っていたので、ドクターには
真司の意志を尊重してくださいと返答した 不死身の真司を期待した
神経内科の指示で、睡眠薬と緩和薬をお尻から挿入した、真司は呼吸のみの
状態を続けていた 何とか持ち直してほしいと願う
3時過ぎに、CIL理事長の福山さんらが来られ、真司に病院入院も含めて
延命処置をするよう説得するつもりだったらしいが、声をかけても返事がなく
呼吸のみの状態で、最後はあきらめられたようで、
「これからは両親が真司の状況を見守ってほしい」と申し入れがあった
我々両親も24時間態勢に入ることにした
5時以降、夜勤は、ベテランの熊代さんで、我々も待機していた。
夜は私が真司を見守ることにして、久恵には津雲台に帰ってもらった
真司は小康状態だったので、私は昔の私の部屋で休養を取っていた
CILのヘルパーさんがたくさん交互に来て、真司に話しかけているのが
聞こえた 楽しい話を真司が聞いているだろうと想像した
11時前、熊代さんが真司の呼吸状態がおかしいと気づき、私を呼びに来て
首の呼吸音を聴こうとしたが、聞こえないのがわかった 私は、久恵を電話で来るよ
う指示、熊代さんは手順に従い、訪問看護師に来るよう指示した
砲門看護師が来て、亡くなっていると全員で確認、神経内科のドクターに
最後の診断を依頼した
11時23分 ドクターは、真司が亡くなっていると診断、その場で、死亡診断書が
書かれた
私は、Kアートさん(松井稔、豊子の葬儀を依頼した会社)に連絡し、死後処理の
スタートを依頼した それから、真司の葬儀の準備が始まった
葬儀は北千里教会、司式は宮岡真紀子牧師を決め、親しい親類友人(安井清子、
近藤紘子さんら)に連絡を開始した
・29日 葬儀の準備に忙殺される
午前10時から 両親、宮岡牧師、Kアート社で葬儀の詳細を打合せした
葬儀日は火葬上の関係で、31日3時を決定
葬儀の段取りなども決めた 約1時間
久恵と私、CIL松浦コーディネーターが、障害年金、障害特別年金など役所に連絡
ツタヤCD宅配、刀根山検査、訪問歯科のキャンセルの連絡を行う
・30日 真司の葬儀の準備、真司死去の連絡などに忙殺された
真司の一生(生まれてから死ぬまでの思い出スナップ)、真司の作成した
チラシ、文集などの準備を行う
久恵は、最後の旅立ちとして、棺桶に入れる物品を準備
6時過ぎ、リッキーも含めた家族全員で「最後の晩餐」を行った、
久恵の友人高田さんが持ってきてくれた「柿の葉寿司」
・31日 葬儀の日
9時 K-アートが、真司の死体を教会に運ぶ
真司と上新田の家の最後の別れをした
9時から 北千里教会で葬儀の準備
11時から葬儀 真紀子牧師の司式で始まる
真司の愛唱讃美歌、真司が選んで聖句、真司の一生の動画
参列者の多さにびっくりさせられた 当初は教会員を含めて30名ぐらい
と予想していたが、CILのヘルパーさんや訪問看護婦、友人
約100人ほど参列したのではないだろうか
12時半 出棺
1時 火葬場につき、最後の祈り
1時10分 木曽路で、家族や親類でささやかな食事
3時半 葬儀場で 骨拾い
4時過ぎに 帰途につく
久恵は、緊張と疲れがどっと出て、倒れそうになったが頑張った
真司の葬儀は終わったが、これからだ大変
落ち込んでいられない心境! 真司が見守ってくれると信じて
頑張ろう
(写真)
サザンオールスターのコンサートの真司